人類の歴史は、さまざまな疫病と戦争が大きく影響した経緯がみられ、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などに苦悩していた状況にも似ています。
特に、病原微生物が特定されず、治療法も分からずにヒトからヒトへと感染が広がり、集団発生する疫病は、いつの時代も人々は不安と恐怖を抱えて対処にも苦悩しています。
そんな疫病のなかでも、天然痘は紀元前より伝染力が強く死に至ると恐れられていて、奈良時代に大流行しています。
ここでは、奈良時代に大流行した天然痘の症状や状況、とられた対策や対応などについてご紹介します。
奈良時代に大流行した天然痘とは?
奈良時代に大流行した天然痘は、当時の中国大陸から持ち込まれたと考えられ、咳や嘔吐、吐血、鼻血といった症状が現れています。
その後、天然痘は流行の波を繰り返しながら、江戸時代には日本に定着しています。
幾度も流行を繰り返した天然痘の影響は、徳川幕府の将軍の何人もが感染した記録も残されていることからも明白です。
特に、奈良時代の天平年間での大流行では、多くの死者がでて、ときの権力者だった藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂といった藤原四兄弟も命を落としています。
そんな奈良時代の天然痘の状況は、平城京の発掘調査で見つかった土器や木簡から、呪術や呪いで封じ込めを図ったことが推測されます。
コロナ禍で注目された江戸時代の妖怪「アマビエ」と同様、呪符木簡や人面墨書土器などが、奈良時代のアマビエだったのかもしれません。
奈良時代の天然痘にとられた対策は?
奈良時代の天然痘は、高熱から始まるものの数日後には一旦熱が下がり「治った」と思い動き回ることで感染を拡大させ、数日後には再度高熱が出て、激しい痛みを伴う発疹が全身に広がります。
低温や乾燥に強い天然痘の菌は、罹患した患者の使用した寝具に付着した疱瘡からも感染を広げたと考えられます。
コロナが感染拡大を繰り返していた状況にも似た状況に感じられますが、疫病に対する知識がなかった奈良時代には、具体的な治療法や感染予防がとられた記録は残されていません。
ただ、皇后の藤原光明子が設立した施薬院と悲田院では、何らかの手立てを講じたかもしれず、残された土器からは、それまでの大皿から小型食器の増加が感染予防の対策とも推測させます。
そんな手探り状態での天然痘との戦いは、未知の感染症と戦う現代人とも共通する点が多く、人類の社会での生活様式や文化を大きく変化させています。
奈良時代に変化をもたらした天然痘との戦い
奈良時代の天然痘は、当時の中国との交流によって日本に伝わり、強力な感染力によって感染拡大を繰り返しています。
当時の権力者だった藤原四兄弟をはじめ、多くの人々が命を落とした天然痘の大流行は、それまでの生活様式の変化や、得体のしれない恐怖から呪術や呪いでの封じ込みを図っています。
とはいえ、今のような医療技術がなかった奈良時代では、有効な感染予防対策や治療が行われたとはいえず、感染による免疫力を人々が獲得して自然収束したと推測されます。
