奈良時代の仏教が政府による統制を受けた理由は?

仏教が初めて日本に伝えられたのは、6世紀の蘇我氏や聖徳太子がいた飛鳥時代で、奈良時代に入ると仏教は鎮護国家思想を背景として、国家の保護を受けると共に統制も受けています。

平城京へと遷都された奈良時代には、多くの寺院が立ち並び、三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の南都6宗が形成されます。

奈良時代の仏教文化を開花させた聖武天皇は、仏教による国の平安を願って各地に国分寺や国分尼寺を作り、総括する寺院となる東大寺を建設し、その中に本尊となる大仏像を建立しています。

奈良時代の政治との結びつきが強かった仏教が、国家から受けた保護と統制について紹介します。

奈良時代の仏教が受けた国家の保護と統制

飛鳥時代には、天皇家と蘇我氏が主導権を争い、中大兄皇子らの大化改新以降は、日本における仏教の存在が個々の豪族の繁栄を祈る「氏族仏教」から国家の平安を祈る「鎮護国家仏教」として天武天皇が決定付けています。

天武天皇により、諸国の豪族は仏舎をつくり仏像と経典を置いて、礼拝しなければならないと命じ、奈良時代の歴代の天皇たちも天武天皇の思想を踏襲しています。

奈良時代の仏教は国家と朝廷を守護するものと位置付けられ、保護を受けたと同時に、政府は仏教への統制も強化しています。

特に、奈良時代の聖武天皇の時代には、国分寺令が発布される前に、僧尼令が発布されていたことでも、国家の保護と統制の両面があったことがわかります。

聖武天皇が発布した国分寺令と僧尼令とは?

奈良時代の仏教は、聖武天皇が諸国に国分寺や国分尼寺を建立させて「国土安穏」のために祈らせる命令となる国分寺令を出し、制度的な保護を与えています。

その一方で、僧尼令を発布して、僧尼の資格を国家が与えるものとし、僧尼の生活についても、細かく規定が定められる国家統制が課せられています。

しかも、仏教の一般民衆への布教活動を禁じられ、国家の許可を得ずに僧侶を名乗るものは、処罰の対象とされています。

中国の唐に影響を受けた奈良時代の政治と仏教

奈良時代の政治や文化、平城京に至るまで、日本から派遣された遣唐使が持ち込んだ唐の情報が影響を与えていて、仏教は鎮護国家思想の背景もあって、政治と密接な関係がありました。

正式な僧侶による仏教への礼拝は、国土の安穏を生み出すとした「鎮護国家思想」に基づいた仏教への保護が、奈良時代の歴代天皇に受け継がれています。

その一方で、奈良時代の国家にとって、僧侶は国家がその資格を与えた国家公務員として、その生活に至るまで規則が定められた統制が課せられています。

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