奈良時代の人々の暮らしと負担は?

飛鳥時代に庚午年籍の戸籍と大宝律令がつくられ、奈良時代には律令制が確立され、支配者階級と一般庶民には良民と賎民に分類された身分制度が生まれます。

奈良時代の政府は、6年ごとに作成される戸籍をもとに口分田を与え、収穫された稲の一部を税として徴収し、その他にもさまざまな税の負担を人々に課しています。

万葉集などに収められた歌には、人々の貧しい暮らしが詠まれ、負担を強いられる暮らしから逃れる人々も現れます。

古代国家から律令国家へと変わった奈良時代の人々に暮らしに課されたさまざまな負担や土地制度の変化などを紹介します。

奈良時代の一般の人々の暮らしに課せられた負担

奈良時代は大宝律令によって一般の人々は良民と賎民に分けられ、6年ごとに戸籍が作られ、戸籍に記載された6歳以上の人々には、それぞれ口分田が与えられます。

公地公民の原則があった奈良時代には、一度与えられた口分田は生きている間使えますが、亡くなれば政府に返還しなければなりません。

口分田を与えられた人々は、暮らしのほとんどを耕作作業に費やす負担を強いられ、稲が収穫されれば、収穫量の約3%を「租」と呼ばれる税の負担が課されます。

他にも、絹や糸、真綿、特産物などには、「調」と呼ばれる税が課され、地方での労役の代わりに麻布を収める「庸」と呼ばれる税の負担などがあります。

奈良時代の人々に課せられた「租庸調」以外の負担

奈良時代の人々には、公地公民の原則があったため、戸籍に記載された6歳以上の人それぞれに「口分田」が与えられ、その一方で、「租庸調」と呼ばれる税の負担が、人々の暮らしにのしかかります。

そのうえ、訓練を受けて選ばれた人は、食料や武器を自己負担した兵役の負担や、国司から稲を借り受けた場合には、50%の利息をつけて返済する「出挙」の負担があります。

一般の人々の暮らしに多くの負担を強いた奈良時代の税徴収や土地制度は、貴族には調、庸、兵役が免除され、高い給与と広い土地が支給されています。

その一方で、賎民は「奴婢」と呼ばれ、奴隷として売買されるなど、良民とは比較できない差別がありました。

良民の中にも、重い税負担や兵役などの負担から逃れたり、戸籍を偽ったりするものが横行し始め、これに対応するために「墾田永年私財法」と呼ばれる新たに開墾した土地を私有することを認め、次第に公地公民の原則が崩れ始めます。

奈良時代の律令制は、人々の暮らしに税の負担を課した?

奈良時代に確立した律令制は、天皇を最高権威者とした二官八省の組織が構築され、一般の人々を良民と賎民に分類します。

公地公民の原則に従って、戸籍に記載された良民には「口分田」が与えられ、その一方で、「租庸調」と呼ばれる税の負担や兵役などが、暮らしに重くのしかかっています。

人々の不満を和らげるために、新たな開墾地について私有を認めた「墾田永年私財法」が発令されると、一部の貴族が賎民を利用して「荘園」と呼ばれる私有地を増やし、土地制度の根幹である公地公民が揺らぎ始めます。

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