8世紀初頭から8世紀末の奈良時代の天平文化には、遣唐使により持ち込まれた唐のさまざまな文化の影響を受け、国家体制にも唐を模した律令制が確立されています。
平安時代中期の国風文化には、奈良時代に派遣されていた遣唐使が廃止され、唐の影響を受けずに日本独自の文化として成長を遂げています。
二つの文化の違いは、天平文化の貴族の服装が中国風の服装であるのに対して、国風文化では日本の和服であることからも明確に判別できます。
律令制が確立した奈良時代と摂関政治が行われた平安時代のそれぞれに成長した文化や服装の特徴や違いについて紹介します。
奈良時代と平安時代の特徴と違いの背景
奈良時代の天平文化と平安時代の国風文化の特徴と違いを生み出していたのは、それぞれの時代で行われていた政治や外交が大きく影響しています。
奈良時代には、遣唐使を送って律令制度を学び、唐の都である長安をお手本とした平城京も造られ、唐の文化の影響を非常に強く受け、仏教によって国を治めるという鎮護国家の思想の影響から、仏教関連の文化財も多く造られています。
一方、874年に黄巣の乱が起きた唐は、一気に衰退してしまい、これを受けて日本では菅原道真が宇多天皇に、今の唐に遣唐使を派遣する意味がないから廃止すべきと提案したことで、894年に遣唐使が廃止されます。
平安時代に遣唐使が廃止されたことで、それまでの中国の影響を受けて発展した文化が、日本独自の気質や風習に沿って発展させる動きが強まり、かな文字の始まりや源氏物語、枕草子などの日本文学が最も発展しています。
奈良時代と平安時代の服装にみられる違い
中国の唐文化に影響された奈良時代の服装にも、中国の制度と律令に基づいた衣服令が定められ、朝服、礼服、制服が作られています。
礼服は即位の式で着用され、朝服は監視の勤務服、制服は庶民が公事に従事する際の服とされています。
貴族の男性は、頭に冠をかぶり、笏を手に持つという昔の一万円札に描かれた聖徳太子の肖像画の服装をしていたとされ、服装の色は、それぞれの人の身分によって決められていました。
貴族の女性は、髪の毛をふんわりとさせ後ろで結び、ゆったりとしたスカートのような裳と呼ばれる中国風の服を着用し、手には翳(さしは)と呼ばれる先端の長い団扇を持っています。
平安時代に入り遣唐使が廃止されると、平安貴族は束帯という服装に、頭には水纓冠を被り、この頃誕生した武士も束帯に巻纓冠を被っています。
一方、平安時代の女性は、十二単が着用されています。
天平文化と国風文化の特徴と違いは、時代背景によるもの
奈良時代の文化の特徴は、遣唐使によって持ち込まれた唐文化と鎮護国家の思想の影響を強く受けた文化が形成され、服装も中国的な要素が取り入れられています。
遣唐使が廃止された平安時代の文化は、それまでの中国の影響を排除した日本独自の風土にあった文化を発展させる動きが強まり、服装も和服を基盤としたものとなっています。
それぞれの時代の文化には、当時の政治や行政、市民生活の水準や思想など、多くの要素が絡んだ特徴と違いがみられます。