奈良時代の身分制度のひとつだった奴婢とは?

奴婢とは、律令制における身分階級のひとつで、中国では奴隷の通称で、奴が男性、婢が女性を意味し、牛馬などの家畜と同じ扱いを受け、売買の対象にもされています。

奈良時代を迎える直前に制定された大宝律令により、それまでに作られていた戸籍をもとに、大化の改新後に制定された「良賎の法」を引き継いで、日本の国民を「良民」と「賎民」の二つに分ける良賤制ができあがります。

奈良時代の日本にあった身分制度は、中国で行われていた奴婢制度を参考にして、奴隷にあたる賎民を五種類に分け、賎民以外をすべて良民としています。

奈良時代の日本の全人口の中で、1割から2割程度いたとされる賎民について紹介します。

奈良時代の日本での賎民が分類された「五色の賤」

「五色の賤」と呼ばれる日本の律令制で置かれた古代日本における5種類の賎民は、大化の改新以降導入され、奈良時代にも引き継がれます。

中国で奴隷とされた奴婢に、日本では賎民を陵戸、官戸、家人、公奴婢、私奴婢の5種類に分類されています。

陵戸と官戸と家人の三種類は、その仕事内容や待遇からも、本来の奴婢と呼ばれる奴隷とは言えない身分にありました。

本来の奴婢と呼ばれる奴隷の扱いを受けていたのが、公奴婢と私奴婢があたります。

「五色の賤」で分けられた賎民の待遇の違い

前述した「五色の賤」で分類されたそれぞれの賎民の種類によって、仕事内容や生活の制限などに違いがあります。

「陵戸」は、天皇や皇族の墓守をしていたために形式上賎民とされていましたが、良民と大差なく、家族を持つことも、口分田を与えられていて、奴婢とはいえない存在です。

「官人」は、子供や父親が犯罪を犯したために賎民に落とされた元官僚だった人たちで、「陵戸」と同じように家族を持つことも、口分田も与えられ、長生きすると良民に戻されています。

「家人」は、本家から分かれた家系の支族が、貴族や豪族の元で隷属的に働いたことで、賎民扱いされ、貴族や豪族の私的な持ち物として扱われています。

口分田も良民の1/3しかもらえないものの、家族を持つことや、家人の人身売買が禁止され、納税の義務も無かったため、待遇が悪いとも言いがたい存在です。

「公奴婢」と「私奴婢」の二つは、前述の三つの賎民とは違い、奴婢と言われた本来の奴隷として扱われた身分にあたります。

自分あるいは家族が犯罪を犯して奴婢となる場合が多く、「公奴婢」は朝廷の雑用係として働かされ、「私奴婢」は豪族の所有物で、どちらもモノと同じ扱いを受け、人身売買も当然行われています。

公奴婢には良民と同じ面積の口分田が与えられ、私奴婢には良民の1/3の口分田が与えられ、コキ使われ、納税義務がないことだけが特権です。

良民に課される重い税負担や防人などの兵役など、負担を逃げるために奴婢ではない賎民となろうとした人が増えたというのも、今の時代からすれば不可解な状況も起きています。

奈良時代の日本にあった奴婢には、公奴婢と私奴婢

律令制が確立した奈良時代には、それ以前にできた戸籍と大宝律令によって、国民を良民と賎民に分けた身分制度が確立し、賎民はさらに5種類に分類されます。

賎民の中でも、「公奴婢」と「私奴婢」はモノと同じ扱いを受け、人身売買も当然に行われる奴隷の扱いを受け、奴婢と呼ばれています。

近代法が確立された現在の日本では、基本的人権を尊重した法整備が整えられたのも、奈良時代にもあった奴婢と呼ばれた奴隷制度の不条理が反面教師として歴史に反映された結果といえそうです。

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