奈良時代の服装で貴族にみられる特徴は?

奈良の平城京に遷都され、律令制が確立された奈良時代は、遣唐使の派遣や朝鮮半島との交流が盛んに行われ、中国の唐の影響を多大に受けています。

唐の都である長安を手本としてつくられた平城京を始め、律令についても、文化も、さらには服装も唐の影響を受けています。

奈良時代に貴族が身につけていた服装の特徴などについて紹介します。

奈良時代の貴族の男性と女性の服装が規定された「衣服令」

奈良時代に確立された律令制は、日本に比べて進んでいた中国の唐の法律を模範として、刑部親王や藤原不比等らが飛鳥時代末期に大宝律令をまとめています。

「律」は刑法、「令」は刑法以外の法律を指し、大宝律令の後に作られた「養老律令」の「衣服令」には、朝廷で着る服装も細かく決められています。

貴族の男性が着る服装には、朝服、礼服、制服が作られ、女性が着る服装にも律令で定められ、いずれも唐の影響を受けた特徴があります。

貴族の男性が着る「朝服」「礼服」「制服」には、地位や役職によって形式や色が決められ、朝服は官人の勤務服、礼服は重儀に使用される服、制服は庶民が公事に従事する時の服で黄色の服です。

一般庶民の服装については、奈良時代以前と大差はなく、男性は脇の下が縫われていない上着を帯で結び、下は褌の上に袴をつけたとされ、女性は脇の下を縫った上着に、スカートのようなものを着たとされ、男女ともに黄色が規定され、賎民など身分の低い者は黒と決められています。

奈良時代の貴族の服装の特徴

奈良時代の貴族が朝廷で着る服装が「衣服令」によって決まりがあったことは前述の通りですが、男性と女性のそれぞれに服装の特徴があり、いずれも唐の影響を受けています。

貴族の男性でも、軍人にあたる武官の礼服や朝服では、上着の脇の下は縫われず、前身と後身が分かれた袍の形状にされ、武官以外の文官の礼服は、脇の下が縫われ、裾まわりに欄という裂を横にめぐらされた袍を着て、下には白袴をはいています。

また、貴族の男性の服装の特徴は、刀をつけて靴を履き、笏を持っていて、地位の高い人の笏は象牙で作られたものを持っています。

貴族の女性の服装の特徴は、髪型も唐風のものとなり、高い位置で頭の中央にまとめられ、飾りがつけられ、上半身はうす藍色の衣服を羽織り、その上に背子と呼ばれるベストを重ねています。

その上に、スカートのような裳をはき、帯でとめ、肩からは領巾と呼ばれるショールを羽織って、手には扇を持っています。

奈良時代の貴族には服装にも決まりがあった?

律令国家体制が確立した奈良時代の貴族には、朝廷で着る服装にも「衣服令」という決まりがあり、男性にはその地位や職責によって着るべき服装や色にまで、細かなルールがありました。

貴族の女性の服装についても律令で定められ、唐の影響を受けた華やかなものとなっています。

貴族が着る服装には、一般庶民が着る黄色が使用されることはなく、地位の無い者が朝廷の公事にあたる時には黄色の服装の着用を義務付けています。

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