隋に代わって中国を統一した唐は、東アジアの広大な領域を支配する大帝国を築き、周辺の地域への影響力を増し、飛鳥時代から奈良時代になる日本も多大な影響を受けます。
奈良時代の政府は、遣唐使の派遣で得た唐のさまざまな文化を日本に持ち込み、朝鮮半島との交流も活発に行っています。
奈良時代の唐や朝鮮半島などとの交易によって得られたものの一部は、正倉院の宝物にもその一端が伺え、貴族たちが集まる平城京を中心に、天平文化が栄えています。
また、聖武天皇が鎮護国家思想を基にした政治を行った影響から、仏教美術に関連する文化財が多く作られた特徴があります。
奈良時代の天平文化にみられる特徴
奈良時代に栄えた天平文化には、遣唐使によって持ち込まれた唐の文化の影響で、華やかな異国の雰囲気が感じられる特徴がみられます。
仏教を保護しながら統制した聖武天皇の政治の影響から、東大寺の造営を管轄する役所で、官営の造仏所が整備され、民間の仏像制作工房も増えています。
また、奈良時代に書かれた古事記や日本書紀、万葉集には、平仮名やカタカナは存在せず、中国の唐から伝わっていた漢字が使われています。
そのため、日本語の発音に漢字の読みをあてて表記する日本独特の漢字表記である「万葉仮名」が登場します。
奈良時代の天平文化が感じられる建築や大仏
奈良時代の聖武天皇は、政治の実権を支えていた藤原四兄弟が当時の天然痘の大流行により亡くなり、朝廷の主な官僚も亡くなるという危機的な状況に陥り、藤原広嗣によるクーデターにも見舞われるといった混乱に加え、地震や火事といった天災が立て続けに起きています。
そのような状況にあった聖武天皇は、自分たちが何をしてもダメだと考えるようになり、「仏様に祈るしかない」といった思いから仏教に傾倒し、国を護るために、各地にお寺を建てるために「国分寺建立の詔」を出し、東大寺をはじめとしたお寺が建てられ、奈良の大仏が建立される「大仏造立の詔」も発せられます。
天平文化の特徴をもつ建築物や仏教美術品には、唐招提寺金堂、薬師寺東塔、正倉院宝庫、東大寺法華堂や法華堂の中にある不空羂索観音像などがあげられます。
とはいえ、何と言っても、奈良の大仏と呼ばれる東大寺盧舎那仏像は、聖武天皇の鎮護国家と災異思想を具現化した奈良時代の天平文化を象徴した存在です。
天平文化が栄えた背景と唐の影響
奈良時代に栄えた天平文化には、当時大帝国となった唐の影響を受けた華やかで、国際的な雰囲気が感じられる特徴があります。
しかも、日本国内では天然痘の大流行や地震や干ばつなどの災害が起き、聖武天皇は仏様頼みといえる「鎮護国家思想」に傾倒し、その結果、東大寺をはじめとした仏教美術に関連した文化財が数多く生まれています。
また、唐から伝わった漢字を利用した万葉仮名が独自の進化を遂げ、古事記や日本書紀、万葉集が書かれています。