奈良時代に使われた刀剣は?道鏡が使った刀剣は?

平安時代以前の奈良時代に起きた乱や征討で使用された刀剣は、中国大陸から伝わった「反り」のない真っ直ぐな「直刀」が使われています。

古代から武器として使われてきた刀剣類は、日本においても古墳時代以前から作られていましたが、日本独自の鍛冶製法によって、平安時代中期を境にして日本独自の「反り」のある「湾刀」へと変化し、日本刀はそれ以降の戦いと共に形状を変えた歴史があります。

律令制が確立された奈良時代には、天皇を最高権威者としながらも、政治の実権を握るために刀剣が使用されたり、男女関係で宮廷に入り込んだ道鏡のような存在もあります。

奈良時代に権力を握るために使用された刀剣や、刀剣を使用しなかった道鏡を紹介します。

奈良時代と刀剣の関わりは?使われていた刀剣は?

弥生時代中期に大陸から青銅器や鉄器が渡来し、人の生殺与奪に直接関わる刃としての銅剣や鉄剣を目にした人々にとっては、畏怖や崇敬の対象となり、刀剣は権力者の象徴、あるいは宗教的呪術にも利用され、次第に武器として使用されています。

鉄鉱石と砂鉄を火炎に投じて、自然界に存在しない鉄を作り出す製鉄鍛治には、当時の人々にとっては超人的な行為であり、呪術師あるいは刀剣を単なる武器ではなく、霊的な命を宿した神器とみなし、刀剣信仰が確立されています。

飛鳥時代には、白村江の戦いでの朝鮮出兵に必要な刀剣や武器が必要となり、それを賄うだけの生産力が確立され、国産の刀剣が貴族以外にも普及し始めています。

奈良時代に入ると、権力をめぐる争いで刀剣が使用されることも増え、朝鮮の脅威に備えるために九州北部に置かれた太宰府には防人が警備にあたり、刀剣が所持されます。

奈良時代に書かれた万葉集に登場する防人の歌には、刀剣が「剣太刀」あるいは「太刀」と詠まれて、「剣」から「太刀」に呼称が変わっていることがわかります。

奈良時代に朝廷に近づいた道鏡のやり口には?

刀剣が武器として使われて始めた奈良時代には、権力闘争で勃発したクーデターなどの乱や征討でも使用されています。

そんな時代の変化が見られた奈良時代に、僧侶でありながら朝廷に近づき、第46代天皇となった孝謙天皇との男女の関係を利用して、法王の称号を賜った道鏡という人物がいます。

聖武天皇の後を受けるべき孝謙天皇には子供がおらず、天皇の地位に就いた女性は子供を産めなかったため、藤原仲麻呂が推す淳仁天皇に譲位します。

淳仁天皇に譲位した孝謙天皇は上皇となり、光明皇太后がなくなり病気になった上皇に、祈祷を行ったのが道鏡で、これをきっかけに道鏡は宮廷に入り込み、孝謙上皇の寵愛を受けています。

その後、藤原仲麻呂が起こした反乱の責任を負わされた淳仁天皇が天皇の座を降り、孝謙天皇が称徳天皇と名前を変えて即位します。

法王の称号を賜った道鏡は、刀剣信仰に利用されていた呪術的な御神託があったとして、皇位をも狙いますが、称徳天皇は臣下の和気清麻呂に宇佐八幡宮の神託を受けさせ、天皇となるものは皇族であるべきで、道鏡を皇位につけてはならないと報告し、皇位継承の伝統が守られています。

奈良時代に変わった刀剣の存在と使われ方

弥生時代の日本に大陸から伝わった刀剣は、当初権力者の象徴、あるいは宗教や呪術的な意味から霊的な神器とした刀剣信仰が確立されます。

人の生殺与奪に直接関わる刀剣は、次第に武器として戦いに用いられるようになり、奈良時代に入ると権力争いを原因とした戦いに使用されるようになります。

道鏡は、刀剣による権力闘争や乱が起き始めた奈良時代において、女帝となった孝謙天皇に祈祷を行うことで宮廷に近づき、男女関係を利用して法王の称号を得た特異な人物です。

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