奈良時代に使用されていた文書木簡とは?

歴史を考察するために用いられる資料には、文献資料、図像資料、映像資料、音声資料、考古資料、民俗資料があります。

古代中国で用いられた文字などを書き記した木簡は、日本でも飛鳥時代以降、紙と併用されて使用され、奈良時代の都が置かれた平城京跡など全国各地で発見されています。

文字を使って残された資料には、当時の人々が書き留めておくべきと判断された重要性が考察できる反面、書き残した人の作為による改変や誤りなども考えられ、複数の資料を付き合わせた検証が必要であるともいえます。

奈良時代を考察するうえで活用される木簡について紹介します。

木簡とは?

木簡は、奈良の東大寺正倉院宝物の中に発見されたものが多く、その後、奈良時代の都があった平城京跡で40点ほどのまとまった数の木簡が発見されたことにより、本格的な調査が行われています。

木簡に書かれている文字を解読することで、当時の社会生活を知ることができ、文書資料とは異なる歴史資料としての意義が大きいと考えられ、藤原京や大宰府跡、多賀城跡などからも多くの木簡が発見され、全国各地で木簡が出土されています。

日本が古代国家から中央集権的な律令国家体制を確立した奈良時代の官僚制国家に必要不可欠な文字による記録や命令の痕跡を、木簡にみることができます。

平城京跡で発見された特筆すべき木簡

奈良時代の都があった平城京跡で発見された「長屋王家木簡」と「二条大路木簡」の二つは、合わせた出土点数が10万点を超えています。

「長屋王家木簡」は、奈良時代初期の政治家だった長屋王の自宅跡などから出土した木簡で、当時の食事や邸内の工房などの状況、王家を取り巻く環境が考察される重要な歴史的資料となっています。

また、「二条大路木簡」は、平城京跡と二条の間の二条大路の路面条に掘られた東西にあった濠状遺構から出土した木簡群で、光明皇后の皇后宮に関わる木簡が大部分を占めています。

奈良時代に関わる木簡の発見によって、都からの命令、地方から都に送られる荷物の内容などの記載が確認でき、時代的な背景を考察することに活用されています。

奈良時代に活用された木簡の役割

飛鳥時代に制定された大宝律令に準じた律令国家体制が確立された奈良時代には、都を中心として地方を治める国づくりの仕組みが構築され、都から地方への命令を伝えるための文書木簡や、地方から都に送られた荷物の荷札にも木簡が利用されています。

奈良時代には、文字による記録が木簡と紙が併用され、平城京跡や二条大路から出土した多くの木簡からは、当時の王家を取り巻く環境や生活状況が考察されています。

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