奈良時代の税制度であった租、調、庸とは何か?

現在の日本では、源泉徴収や確定申告で税金を支払っていますが、大宝律令の制定によって律令国家体制が確立された奈良時代には、税の徴収システムも確立されています。

大宝律令と公地公民制の確立により、戸籍に記載された6歳以上の一般庶民である農民には、天皇の土地を口分田として分け与えられ、耕作して収穫した稲の一部を税金として納めさせ、その他の産物や労役などが課されています。

奈良時代に課せられていた税金にあたる租・庸・調は、律令制の手本とした唐の制度を参考にして作られ、日本の風土を考慮して改良された制度になっています。

奈良時代に一般庶民である農民に課せられていた、租・庸・調について紹介します。

奈良時代の租・庸・調とは?租とは?

奈良時代に庶民に課せられていた租・庸・調の税とは、簡単に言えば、租が口分田で収穫された米の一部を納める税、調は麻や絹の繊維製品や地方の特産品を納める税、庸は京での労働にあたるか、労働の代わりに何かを納めるかを選択できる税であり、労働の代わりに何かを納める方が庸で、京での労働を選べば、雇役や雑徭です。

租とは、戸籍に記載された6歳以上の農民に与えられた口分田から収穫された稲の3%から10%の税率で徴収される税です。

それまでに税として納めた文化がなかった状態から、苦労して耕作した土地の収穫物の一部とはいえ、政府がいきなり税の徴収を行えば反発されるため、収穫された稲穂の一部を神に捧げる初穂儀礼を利用して、徐々に税と置き換え、租という税の徴収を可能にしています。

しかしながら、初穂儀礼で集められた稲を官僚が勝手に使うことはできないため、初穂儀礼は非常用に保管され、農民たちに種籾として利子をつけて強制的に貸し出し、財源を確保するなどの工夫を凝らし、時間をかけながら、官僚が自由に使える稲に代えています。

奈良時代の租・庸・調の庸や調とは?

奈良時代の税制で、口分田からの収穫された稲以外の税にあたる調は、麻や絹といった繊維製品や地方の特産品を朝廷に献上する貢物を意味していて、地域や地方によって、特定の物産品が指定される場合もあったようです。

農民に与えている口分田の収穫を祈り感謝する儀式を行う天皇に代わり、儀式用の生糸を朝廷が代わりに徴収しているといった理屈が想像できます。

また、庸には、「京に赴いて朝廷のための労働できないなら、何か納めろ」という税で、京に赴いて朝廷のための労役に就く場合には、雇役や雑徭という表現がなされ、各種公共事業の過酷な肉体労働が課されています。

しかも、雇役や雑徭には、京までの旅費や京での生活費も庶民が負担しなければならず、肉体的にも経済的にも過酷な状況が強いられています。

奈良時代に確立された租庸調という名目分けされた徴税システム

唐の租庸調を参考にしながら、日本の文化や風土に適応できる税制を確立した奈良時代の租庸調は、口分田からの収穫物の一部を初穂儀礼を利用して民衆の反発を抑えながら、時間をかけて官僚が自由に使える財源とし、調によって朝廷や天皇に地方から献上させる繊維製品や特産品を確保しています。

さらに、庸によって都の公共工事に必要な労働力を確保し、平城京の都市整備を強化し、鎮護国家を具現化するための国分寺や国分尼寺、東大寺の大仏建立などの過酷な労働に従事させられています。

いずれの税にも、民衆の大きな反発を招くことがないように、当時の官僚が文化や習慣を勘案しながら、徐々に政策の舵取りをしています。

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