奈良時代の着物は?着物が決められた衣服令とは?

令和元年を迎えた2019年5月1日以来、天皇の即位に関連したニュースが流れ、皇位継承に関わる服装や儀式などにも注目が集まっています。

平成から令和での天皇の皇位継承は生前退位に伴うものだったので、即位の年である令和元年に主要儀式が営まれる予定となっています。

現代でも皇族が着る着物には注目が集まりますが、奈良時代には朝廷に出入りする貴族の着物は、法律で定められていました。

奈良時代の着物に関した法律である「衣服令」に関連したことを紹介します。

奈良時代の着物は?

奈良時代の日本は、当時大国となっていた中国に遣唐使を積極的に派遣し、唐の進んだ文化や政治統治体制、さまざまな技術などを取り入れています。

特に、聖武天皇の時代に花を咲かせた天平文化には、唐の仏教に影響を受けた寺院や仏教美術の多くがつくられています。

奈良時代の着物にも、当時の中国の唐の漢服の影響を受けていて、前合わせで帯を締める基本構成も似ていて、それまでの日本の着物が左前だったものが、右前となったのも唐の影響があります。

大宝律令の改定によって制定された「養老律令」には、朝廷に出入りする貴族が着る着物の規則が定められた「衣服令」という法令が含まれていました。

「衣服令」に規定されていた奈良時代の貴族の着物

奈良時代の律令制の基盤となった「大宝律令」が改定された「養老律令」の「衣服令」には、朝廷に出入りする貴族が着る着物として、礼服、朝服、制服の三種類が定められています。

礼服は、大嘗祭や元旦などの重要な祭祀の際に着る着物で、朝服は、月に一度の「朝会」と呼ばれる祭り事や「公事」といった重要な祭り事の際に着る着物で、制服は、朝廷で特別な地位にない官人が「公事」の際に着る着物とされています。

礼服、朝服、制服には、それぞれの形や色に、それぞれの地位や役職に違いが設けられています。

礼服と朝服には、昔の一万円札に描かれていた聖徳太子が着ていたような腋線を縫わない服にある「襖」があり、着る人の地位によって色が違っています。

武官の着物には、腰を固定するための革製の帯があり、文官の着物には、礼服に襴がつけられています。

奈良時代に朝廷に出入りする貴族の着物のきまり

奈良時代の政治や文化には、唐の影響が色濃く反映され、朝廷に出入りする貴族の着物にも中国の唐のものと似ています。

貴族が着る着物が、律令制の根幹を成した法令で定められていた奈良時代から、かなりの時間を経過した令和元年となる2019年に行われる大嘗祭では、古式に則った儀式が営まれます。

令和元年は、皇祖の天照大神以来、継承されてきた皇位継承にかかわる儀式をとおして、現代まで引き継がれた日本の歴史に思いを巡らすきっかけになるかもしれません。

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