奈良時代に生まれた酒造りの技術と作っていた機関

国内の消費が伸び悩んでいるといわれる日本酒ですが、日本各地の酒蔵では、見学や試飲ができるツアーが開催され、日本酒好きの人達の人気の観光スポットとなっています。

落ち込んだ国内消費を補うように、海外での日本食がブームを活用して、日本酒も「SAKE」という名称で売り上げを伸ばしています。

四季に関わる行事や鏡開きや結婚式の三三九度などの儀式などで飲まれる日本酒は、古代から日本人の文化と神との特別な関わりを持つ特別な存在です。

日本人と日本酒の関わりや、日本での計画的な酒造りが行われたとされる奈良時代の役所などについて紹介します。

日本人とお酒のかかわりの始まりは?

日本人とお酒に関する記述が登場するのは、1世紀ごろに書かれた中国の「論衡」や3世紀末の「魏志倭人伝」があり、酒の種類や原料の記述はないため、詳細はわかりません。

また、奈良時代に書かれた「古事記」には、須佐之男命が八岐大蛇を退治するために酒を造った記述がありますが、原料は不明なため、日本酒ではなかったと考えられています。

そんな中、長野県八ヶ岳の山麓の遺跡から、ヤマブドウの種が入った縄文式土器が発見され、日本では縄文時代から果実酒が飲まれていた可能性が指摘されています。

日本人が古代からお酒を飲んでいたことは、中国や日本に残された書物や遺物から間違いないようですが、日本酒の原料となる稲作が始まったのが弥生時代であることや、醸造方法の確立の時期が判明されていないため、明確な判断がされていません。

日本酒と奈良時代のかかわりを示した役所の跡

日本酒の原料には、米と米麹、そして水があり、日本で米が作られ始めたのが弥生時代ですから、醸造技術が生まれた時期にもよりますが、少なくとも弥生時代以降が起源と考えられます。

奈良時代の平城京跡からは、甕を並べて据え付けた跡のある建物や、「造酒」と書かれた土器、酒造りのために使用したであろう井戸などが発見されています。

これらの発見された遺跡は、奈良時代の酒の製造に関わっていた役所といわれる「造酒司」と確認され、貴族たちが嗜む目的と神事に使うための日本酒が造られていたと推測できます。

仏教と関わりの深い奈良時代には、遣唐使が積極的に派遣され、シルクロードの終点ともいわれた奈良には、醸造技術が大陸から伝わっていた可能性も高いと考えられます。

奈良時代には存在した酒の醸造と管轄する役所?

米作りが始まる前の縄文時代から、果物の果実を発酵させた酒が飲まれていた可能性を示す遺物が発見されています。

日本人との関わりの深い日本酒は、奈良時代に大陸から持ち込まれた麹による酒造りの醸造法が普及したと考えられ、平城京跡から発見された「造酒司」という酒の醸造所とされる役所の存在が、計画的な酒造技術の進化を伺えます。

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