奈良時代にはあった戸籍の役割と目的

大宝律令の制定によって律令制が確立された奈良時代には、中央政府が税を徴収するための税の台帳となる計帳をつくるための戸籍が必要となっています。

大化の改新の後に、増加する大陸から流入する渡来人を把握するために「庚午年籍」と言われる戸籍が作られ、その後、平城京へと遷都される前には、全国民を対象とした「庚寅年籍」という戸籍がつくられます。

飛鳥時代から奈良時代につくられた戸籍は、現在の日本でつくられる「戸籍」とは作られる意味と利用される目的に違いがあります。

奈良時代に関わる「庚午年籍」と「庚寅年籍」

大宝律令の制定による律令制が確立される前の飛鳥時代に、日本で最初に作られた全国的な戸籍となった「庚午年籍」は徴税と徴兵のために、身分や氏姓を確定するための台帳が作られています。

690年に作られた「庚寅年籍」は、その後6年ごとに作られた全国的な戸籍で、「庚午年籍」で戸籍に記載されていた身分や氏姓に加え、家族構成なども記載され、中央政府による管理と支配が強まっています。

「庚寅年籍」は、平城京へと遷都され奈良時代がはじまると、天皇を中心とした律令制の国家体制を確立するための法体系を維持するために利用されています。

奈良時代に引き継がれた「庚寅年籍」の役割

大宝律令の制定によって天皇を中心とした律令体制が確立された奈良時代には、良民と賎民に分けられた身分制度もできていて、すべての人民と土地を天皇の所有とした公地公民制が前提となった班田収授法という法体系が構築されます。

班田収授法が運用されるために、6年ごとに作成された戸籍をもとに、記載された6歳以上のすべての農民に、天皇の土地を班田として与え、耕作されて収穫された稲の3%から10%を「租」と呼ばれる税金が徴収され、徴兵のためにも利用されています。

奈良時代に引き継がれた戸籍の制度は、中央政府が人民を把握し、徴税システムを確立するために利用されたと考えられます。

大宝律令と戸籍制度、班田収授法などの法体系によって確立された奈良時代の律令制は、時間の経過とともに税金逃れのための戸籍の偽装、浮浪者の増加、さらに、徐々に増加した人口で不足した口分田を解消するための墾田永年私財法によって、一部の有力豪族や貴族たちが賎民を活用して私有地を広げたため、平安時代以降の戸籍制度の崩壊を招いています。

奈良時代に存在した戸籍の役割

奈良時代につくられた戸籍は、「庚寅年籍」の戸籍の制度を引き継ぎ6年ごとにつくられ、戸籍に記載された人民に口分田が与えられ、収穫物の一部を租税として徴収する税金の徴収システムが確立され、兵役を課すための基本情報として活用されています。

奈良時代の戸籍は、中央政府が人民を掌握して管理し、徴税するための制度のためにつくられ、利用されています。

現在の戸籍が、国民の権利と義務の両方を保障するためにつくられるのに対し、奈良時代の戸籍は、天皇を中心とした中央政府が人民を管理し、税金を徴収し、兵役などの負担を課すためのものでしかなかったという違いがみられます。

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