奈良時代の口分田とは?どんな制度だった?

氏名、生年月日、性別、住所など、個々の住民の情報は、今では役所に届けられた戸籍や住民票で管理され、必要に応じて住民の存在証明を公証してくれます。

昨今では、そんな個人情報を不正に取得し悪用する犯罪が横行し、マイナンバー制度の普及にも悪影響を及ぼすおかしな世情も呈しています。

国が住民の情報を把握するのは、国家運営のための税収を確保するのはもちろん、自然災害などの緊急事態に人々の安全を確保する目的が想定されています。

奈良時代は、律令制に基づいて住民の情報を記録し、租庸調といった税収の確保を目的とし、口分田の割り当てにも利用されています。

ここでは、そんな住民の管理と統制が行われはじめた奈良時代の口分田を中心に、ご紹介します。

奈良時代の口分田とは?どんな制度?

奈良時代には住民の戸籍が作られ、大宝律令のもと、土地と人民は国家のものとする「公地公民」が基盤に据えられています。

日本列島にあるすべての土地や人民の所有権は天皇にあるとし、国が把握する庶民に土地を貸し出すというロジックです。

そのため、国は「班田収授法」を発布し、戸籍に基づいて6歳以上の男女に「口分田」と呼ばれる土地を分け与え、その土地の収穫物を税として徴収する制度を強いています。

しかも、班田収授法は、借りている人が亡くなったら、国がまた別の人に貸して税収を確保するという、国にはメリットしかない設定でした。

つまり、奈良時代の「口分田」は、住民から強制的に税を納めさせるために分け与えた土地で、所有権は国家にあるという理不尽な制度でした。

奈良時代の住民らに課された「口分田制度」以外の税は?

奈良時代の住民らには、前述のような「口分田」が与えられ、収穫量の約3%の稲を地方の役所に納めさせられています。

しかも、これに加えて、都での10日間の労働、または布を納めさせられる「庸」と呼ばれる税も課されています。

さらに、「調」と呼ばれる地方の特産物を国に収める税も課されています。

「租庸調」という基本的な税負担以外にも、国司のもとで年間60日の労働にあたる「雑徭」という税や、1年間兵士として都の警備をする「衛士」、3年間もの期間を九州の警備にあたらせられる「防人」という過酷な負担を強いられる住民もいました。

もちろん、衛士や防人に出ている間の税金は免除されず、家族が肩代わりすることを強要される過酷さです。

奈良時代の口分田にみられる不条理な税制

奈良時代は、大宝律令をもとに土地と人民を国家のものとする「公地公民」を基盤に、「班田収授法」も発布されます。

「班田収授法」は、戸籍をもとに6歳以上のすべての男女に「口分田」として土地を貸し、その土地を耕作させ収穫量の約3%を納税させています。

しかも、これ以外にも、土地の特産物を税として徴収したり、一定期間の労働を強いるなど、過酷な徴税制度が実施されています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする