多様性が求められる昨今、外見や見た目の良し悪しといった外見での価値づけしようとする「ルッキズム」は、これまでさまざまに議論され、否定や容認されてきました。
人の外見の見た目は、他人の評価や社会的行動にさまざまな影響が及んでいる現実社会のいま、女性だけでなく、男性が化粧する習慣の変化も見受けられてきました。
肌の悩みの解消、他人からキレイにみられたいなどの理由から施される化粧は、古代から社会性を持ちはじめた日本列島で確認されてます。
ここでは、原始的な化粧から美意識に基づいた化粧へと発展した奈良時代の「化粧」について、ご紹介します。
日本伝統の装いの原点となった奈良時代の化粧とは?
古墳時代以前の日本での化粧は、日差しや寒さ、乾燥などの自然環境からの肌の保護や、儀式や呪術的な意味合いで施された「原始的な化粧」だったと考えられます。
当時の先進的だった大陸との交流を通じ、飛鳥時代から奈良時代へと時代が進むなか、唐の文化の影響で化粧の意味や方法にも変化が起き、人々の美意識も変わります。
他人から美しいと思われ、自分を魅力的に魅せようとする今の化粧にも通じる「伝統的な化粧」が、奈良時代に入ると移り変わっています。
当時の化粧の様相は、奈良時代中期に描かれた「鳥毛立女屏風」の女性像に確認できます。
白粉を塗った顔には紅をポイントメイクが施され、絹織物に華やかな色の唐風の衣装をまとった姿には、唐の文化が強く影響しているのがわかります。
白い肌への美意識を誕生させた奈良時代の化粧とは?
奈良時代以前の化粧は、身を護る呪術の意味合いから、赤を基調とした化粧が施されていました。
ところが、奈良時代になると京都に住む宮中女性を中心に、中国大陸様式の化粧が鉛白粉の登場によって、白い肌への憧れと共に美意識の変化も誕生しています。
この化粧の変化は、前述した「鳥毛立女屏風」の女性像の顔でもわかるように、口元には「ようでん」と呼ばれるカラフルな色で花や星を描くポイントメイクの特徴がみられます。
奈良時代の白い肌への憧れや美意識は、「色白は七難を隠す」という言葉が今でも使われるほど、平安時代以降の時代にも受け継がれています。
奈良時代に生まれた日本伝統の化粧と美意識
日本女性の化粧は、奈良時代を境に、それ以前と以降の化粧方法や美意識に大きな変化を起こしています。
奈良時代以前の化粧は、儀式や呪術的な意味合いで赤を基調としたやり方がとられていました。
一方、奈良時代は、鉛白粉を利用した白い肌に紅をさす唐風の化粧のやり方が広がりをみせ、白い肌への憧れと美意識の変革が起きます。