奈良時代に大仏が造られた理由は?その大きさは?

「奈良の大仏」といえば、修学旅行で訪れる定番の場所としても全国的に有名な東大寺に鎮座する御本尊で、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

東大寺の大仏は、正式名を「盧遮那仏」と言い、「太陽」という意味を持ち、「宇宙の中心から太陽のように照らし続ける」という意味が込められ、華厳宗ではすべての生き物を救済する仏とされています。

奈良時代の聖武天皇が、鎮護国家を具現化するために、国分寺建立の詔に続いて発布した「盧遮那大仏建立の詔」によって造られた「奈良の大仏」ですが、造られた理由や、その大きさの理由などについて紹介します。

奈良時代の聖武天皇が大仏建立を命じた理由

奈良時代の聖武天皇が大仏建立を命じた理由には、仏教によってあらゆる災いから逃れるためだったと考えられます。

聖武天皇が即位し政治を行った時代には、天然痘の大流行により、藤原四兄弟をはじめとして、朝廷の多くの官僚が亡くなり、大地震や自然災害による作物の不作で飢饉も起きるなど、民衆の不満は高まり、政治情勢も不安定となっていました。

仏教への信仰をきちんと行うことで、国の安定化を図ろうとする鎮護国家と災異思想の具現化を目指した聖武天皇が、諸国に国分寺と国分尼寺を作るように命じ、総本山となる東大寺に御本尊となる大仏の建立を命じています。

ある意味、政治的な手腕の行き詰まりを感じた聖武天皇が、仏の力を借りて災いから逃れ、民衆の不満を和らげようとしたのが、大仏建立の理由だったと考えられます。

奈良時代に造られた大仏の大きさは?その大きさの理由は?

奈良時代に造られた東大寺の大仏は、南大門から中門を通り直進した先に見える大仏殿に安置され、鎮座する大仏像の座高、すなわち像の高さは14.98mあり、鎮座する蓮華の高さが3mですから、大仏全体は約18mの高さがあります。

また、大仏像の横幅は、12.08m、鎮座している蓮華座の直径は18.04mといった大きさですから、その重量も約250トンもあります。

奈良の大仏がこれだけ巨大な理由には、大仏さまが華厳宗の世界観の果てない宇宙に座しているため、そして、世のすべての生き物を救済するためという二つが考えられます。

東大寺を建てた聖武天皇は、奈良の大仏を建立することで、自身が目指した鎮護国家を具現化し、すべての民衆を救おうとしたのかもしれません。

奈良時代に建立された大仏の大きさは、国家安寧の思いの大きさ?

奈良時代の聖武天皇の時代には、疫病や災害、飢饉などの多くの問題から、民衆の不満が高まります。

仏教の力を借りて国の安寧を願った聖武天皇は、国分寺や国分尼寺を作らせ、総本山となる東大寺に大仏像の建立を命じ、巨大な大きさの大仏を鎮座させることで、すべての庶民を救い、国の安定を図ろうとしたと考えられます。

高さ約18m、幅約18m、重量約250トンという巨大な大仏像の大きさには、奈良時代に苦境に追い込まれた聖武天皇が、仏教にすがってでも国を護ろうとした思いの大きさなのかもしれません。

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