奈良時代に起きた内乱や反乱

日本史に登場する「乱」には、政治権力に対する武力による反抗、政治権力の収奪による内乱状態といった混乱した状態を表しています。

大宝律令が制定され、天皇を最高権力とした律令国家体制が確立された奈良時代は、710年に平城京が設置されて約80年余りのあいだに、権力者がめまぐるしく変わったこともあり、多くの「乱」が起きています。

奈良時代に起きた戦いには、「隼人の反乱」「藤原仲麻呂の乱」「宝亀の乱」「藤原広嗣の乱」といった「乱」と呼ばれるものと「蝦夷征討」「巣伏の戦い」などがあげられます。

奈良時代に起きた「乱」について紹介します。

奈良時代に「乱」が起きた背景には?

奈良時代の政治は、天皇を最高権威者とした律令国家体制が確立され、天皇と権力者のそれぞれが存在していました。

最初の権力者となった藤原不比等と元明天皇そして元正天皇に始まり、長屋王と元正天皇と聖武天皇、藤原四兄弟と聖武天皇、橘諸兄と聖武天皇と孝謙天皇、藤原仲麻呂と孝謙天皇と淳仁天皇、道教と称徳天皇、藤原百川と光仁天皇と桓武天皇といった変遷をたどります。

奈良時代になる前から現在の東北や北海道に住む人々を支配下に置く政策が進められ、蝦夷地との争いは、三十八年戦争と呼ばれる坂上田村麻呂と阿弖流為との戦いが774年から811年に繰り広げられています。

南九州で暮らす隼人と呼ばれた人々に対しても、713年に大隅国がおかれて政府の支配下に入ったのち、720年にヤマト王権に対して起きた反乱を経て、ヤマト王権の支配が確立しています。

蝦夷征討と巣伏の戦い、隼人の反乱は、ヤマト王権に対する武力による反抗であり、いずれも王権側の勝利によって支配権が確立される結果となっており、それ以外の「乱」は権力者が変わる時期と相関関係があります。

政治権力者に対する反抗や権力収奪による内乱

奈良時代の政治権力者に対する反抗で起きた「乱」には、「藤原仲麻呂の乱」「宝亀の乱」「藤原広嗣の乱」があります。

「藤原仲麻呂の乱」は、孝謙天皇と道教に対立した藤原仲麻呂が武力による反抗を起こし、政権を奪取しようとして失敗した「乱」です。

また、「宝亀の乱」は、宝亀年間の11年にヤマト政権に対して蝦夷の族長だった伊治呰麻呂が起こした反乱です。

そして、「藤原仲麻呂の乱」は、天平12年に九州地方で起きた内乱です。

わずか80年間の奈良時代には、権力者に武力で反抗する乱と政権を武力によって奪おうとする内乱が起きた背景には、律令国家が確立されたとはいえ、最高権威者としての天皇とは別に権力者が存在したためと考えられます。

奈良時代に起きた武力を背景とした乱と内乱

飛鳥時代に制定された大宝律令によって、奈良時代に入ると天皇を最高権威者とした律令国家体制が確立していきます。

しかしながら、畿内を中心とした中央国家に反発する蝦夷地と隼人の国の反乱が起き、権力者が変わる度に武力による反抗も起きています。

わずか80年の間に複数回起きた乱には、権力者がめまぐるしく変わったことも影響しています。

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