奈良時代に女帝が多かった理由とは?

2019年5月1日に平成から令和となった日本では、2004年以降議論が盛んになっていた皇位継承問題の根本的な解決が示されないまま、天皇と皇族の関心が高まりをみせています。

これまでの日本において、天皇には男系男子による皇位継承を基本としながらも、特別な事情が発生した時に限り、女性の天皇である「女帝」が即位していますが、女帝も天皇の子孫であることから、皇位は例外なく歴代天皇の子孫によって継承されています。

歴代の天皇のうち10人が女性の天皇「女帝」であり、そのうち半分が奈良時代に集中していて、江戸時代になるまで女帝の即位はありません。

奈良時代に集中した女帝の即位の理由や背景について紹介します。

奈良時代に即位した女帝には誰がいるのか?

奈良時代には、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、称徳天皇の五人が女性の天皇「女帝」として即位しています。

持統天皇が即位した理由は、天武天皇の跡を継承するはずの草壁皇子が早世したため、その子供である珂瑠皇子が皇位継承者とされますが、年少だったために、珂瑠皇子の成長を待つ間のつなぎの役割を果たすためでした。

また、元明天皇は子供の成長を、元正天皇と孝謙天皇、称徳天皇らは、それぞれ弟の成長を待つ間の期間を女帝として即位しています。

いずれの女帝も、本来継承するはずの天皇の男系の子孫に皇位を譲るために、政治的な混乱や皇位継承での争いを避けるために即位しています。

女帝が即位しながらも皇位が男系継承された理由

奈良時代に五人もの女帝が即位したのは、皇位継承すべき男系の男子が早世したり、皇位後継順位にある男子が幼少であるなどの特別の理由から、一代限りで認められています。

女帝となった女性は、生涯未亡人、あるいは未婚を貫かねばならないという不文律があり、女帝の後継には本来の皇位継承者である男系の男子が即位しています。

天皇が男性であるべきとされたのには、日本の天皇が「祭り主」という宗教的な権威と国家における政治的な権力者の立場を持つため、世界に存在する王国の「王位」とは異なります。

宗教での権威者には男性が限られ、男系の男子に継承するとした考え方は、世界の宗教で踏襲されており、日本の天皇が持つ宗教的な権威という意味から男系の継承が誇示されています。

奈良時代に女帝が多かった理由

奈良時代に女帝が多かった理由は、まだ皇位継承の制度が整っておらず、皇位継承すべき男系の男子が早世したり、皇位継承すべき男子が幼少だったりした状況で、皇位継承を巡る混乱や争いを避けるためと考えられます。

日本の天皇が「祭り主」という宗教的な権威の存在であったために、男系の男子による皇位の継承が尊重され、特別の事情が起きた時だけ女帝が一代限りで即位し、状況の改善が図られれば、男性の継承者に引き継がれています。

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