奈良時代の平城京とは?いかに建設されたのか?

2010年に行われた「平城遷都1300年祭」の公式マスコットせんとくんが話題となった平城京は、藤原京から遷都され、794年に平安京に遷させるまでの84年間、奈良時代の都でした。

710年から794年の奈良時代には、平城京から恭仁京、紫香楽宮、平城京、長岡京と何度も遷都を繰り返しています。

天皇の即位はもちろん、自然災害や天変地異、疫病の発生などによって、遷都することで新しい時代を切り開こうとした奈良時代の都の中心となった平城京を紹介します。

平城京の特徴は?

平城京は、飛鳥時代につくられた京と同じく、唐の長安を手本に、南北に長い長方形で、中央に朱雀大路を配置して左京と右京に区切られています。

「宮」は、天皇の住居や役所のある場所を指し、「京」は役人たちの生活する家を含めた全体のことを指しています。

北側の宮から見て左と右が決められ、南北を坊、東西を条とし、碁盤目状に区切られた左右対称の方形都市が形成され、東側に出っ張った「外京」が後から拡張されています。

「外京」の端には、奈良時代の象徴的な存在ともいえる東大寺があります。

奈良時代の始まりとされる平城京は、遷都された時には内裏と太極殿とその他の官舎が整備された程度で完成されておらず、その他の寺院や邸宅は、段階的に造営されています。

奈良時代の平城京に二つの太極殿があるのはなぜ?

奈良時代の平城京には、天皇の即位などの大切な儀式が行われた太極殿の跡が二つも残っています。

聖武天皇の時代には、天然痘の大流行により藤原四兄弟をはじめ、朝廷の多くの官僚が亡くなり、大地震の発生や天候不順による飢饉の発生などが続いています。

740年から745年の短期間に現在の京都から大阪、滋賀へと都を転々と移し替え、その際、太極殿も解体して移築されています。

そのため、現在の平城京跡にある二つの太極殿は、元明天皇が建てた太極殿と聖武天皇が建てた太極殿です。

奈良時代の平城京にみられる特徴

奈良時代の平城京は、遷都された当初に完成されておらず、遷都後に段階的に造営された特徴があり、聖武天皇が遷都を繰り返した痕跡ともいえる二つの太極殿も確認されています。

唐の長安を手本につくられた平城京は、飛鳥時代とは違い、書物だけを頼りにした建設ではなく、遣唐使らによる現地視察の意見も取り入れ、時間をかけながら完成されています。

平城京の東側につくられた「外京」の存在が、遷都後に拡張された造営の特徴ともなっています。

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