奈良時代に都が置かれた平城京の場所とは?

元明天皇によって710年に藤原京から遷都された平城京は、現在の奈良県奈良市および大和郡山市近辺の場所に位置し、当時は奈良京と呼ばれています。

律令国家体制を確立し、天平文化が花開いた奈良時代は、平城京を中心とした約70年間続きますが、聖武天皇は740年から745年までの5年間の間に4回も遷都されています。

その後、784年には長岡京に遷都され、平安時代を迎える時には平安京へと遷都されています。

奈良時代の都が置かれた平城京という場所へ遷都された時代背景や遷都された周辺事情などについて紹介します。

奈良時代の都として平城京に遷都された理由は?

飛鳥時代の終盤に都が置かれていた藤原京は、道路整備や排水路網もしっかりと整備されいましたが、伝染病の蔓延や演技の悪さがあったことを理由に、別の場所に都を移すことが検討されます。

当時の占いによる吉方位とされた縁起の良い場所が選定されたことと、旧有力豪族が多く集まる飛鳥の地から距離を置く狙いもあって、現在の遺構跡の場所に奈良時代の都となる平城京が遷都されることが決まったなどの理由が挙げられています。

都が平城京に移った当初は、内裏と太極殿、官舎程度の建造物がある都で、そのほかの建造物は段階的に造営されています。

都の中心に置かれた平城宮

奈良時代の都の中心に置かれた平城宮の場所には、政治や儀式を行う太極殿や朝堂院が造られ、天皇の住まいである内裏や庭園、官公庁が集められています。

平城宮は東西南北1キロ四方の敷地に、周囲に大垣が巡らされ、平城京の南から通じる朱雀門をはじめとした多くの門が設置されています。

太極殿は、天皇の即位など大切な儀式の際に利用された場所で、平城宮には二箇所跡地があり、第一次太極殿は元明天皇、第二次太極殿は聖武天皇が建てています。

平城京は、京都に残る平安京と同様に碁盤の目のように整然と区画された都の様式が取られ、その当時最も文化的に進んでいた中国の唐をモデルに建築されています。

奈良時代の都の場所は、現在国営平城宮跡歴史公園に

奈良時代の都が置かれた平城京の場所は、当時シルクロードの終着地とされ、日本にもたらされた異国の品々は、東大寺正倉院に納められています。

約4キロ四方の平城京の場所には、当時約10万人以上の人が暮らし、都の中心には政治や儀式を執り行った太極殿や朝堂院などを造営した平城宮がおかれ、現在では国営の歴史公園となって、その遺構を知ることができます。

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