奈良時代に建立された東大寺の本尊とは?

奈良といえば、平城京、興福寺の五重塔、奈良公園の鹿など、奈良時代にまつわる場所や建造物が想像され、奈良の大仏もその一つです。

聖武天皇の発願により制作が開始され、開眼供養が行われた奈良の大仏は、東大寺大仏殿の本尊であり、東大寺の本尊としても知られ、圧倒的な存在感を示しています。

巨大な大仏の制作には、のべ260万人の工事関係者と今の金額に換算すると約4657億円の巨額な建造費が費やされています。

奈良時代の象徴ともいえる東大寺大仏殿の本尊である大仏と作られた時代背景などを紹介します。

金銅仏世界一の大きさを誇る奈良の大仏の寸法や重さ

奈良の大仏として知られる東大寺の盧舎那仏は、創建当時の像の高さが15.8mで、ビルの4階から5階の高さに相当し、幅は約12m、約250トンの重さがあり、台座の重さも約130トンあります。

創建時には金メッキが施された奈良の大仏には、400キロ以上の金と2.5トンの水銀が使用され、金は陸奥をはじめとして全国から献上され、調達されています。

座禅を組み、手のひらを上に向けている奈良の大仏の左手の大きさは、手首から中指の付け根までが約1.8m、中指の長さが約1.5mの大きさがあります。

奈良の大仏と鎌倉の大仏の像は、それぞれ14.98mと11.39mといった像の高さですが、奈良の大仏が東大寺大仏殿の本尊として鎮座する状態と鎌倉の大仏が露座している状態で、受ける印象が違うのかもしれません。

奈良の大仏が建立された経緯と時代背景

東大寺大仏殿の本尊として巨大な盧舎那仏が建立された背景には、奈良時代が度重なる飢饉や戦さに疲弊した状況があり、これを憂いた聖武天皇が発願して建立が計画されます。

大仏建立中には、地震による大仏の頭部が落ちたり、平安時代末期には、平重衝の焼き討ちにあい、東大寺や興福寺、仏像の大半が焼き尽くされ、後白河法皇や武家の協力を得て再建された歴史も刻まれています。

現在鎮座する奈良の大仏は、自然災害や戦火を受けながらも、その度に人々の思いと信仰心が、創建当時よりも三分の一ほど小さくなったとはいえ、補修と再建を繰り返しています。

また、金銅仏として世界一の大きさを誇る盧舎那仏を祀る大仏殿も巨大で、大仏と共に国宝として指定され、観光で訪れる際には、両方に目を向けることをオススメします。

奈良時代に建立された大仏には人々の思いが?

奈良時代の飢饉や戦で疲弊した状況を憂いた聖武天皇が発願し建立された奈良の大仏は、金銅仏世界一の大きさを誇り、観光名所となっています。

国宝となっている東大寺大仏殿と本尊として鎮座する盧舎那仏にまつわる知識を知ったうえで訪れると、奈良時代のロマンをより深く感じられ、楽しめると思います。

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