奈良時代の大宝律令により生まれた役職には?

大宝律令の制定によって、政治制度がほぼ整えられた飛鳥時代から奈良時代は、現在の法治国家の先駆けとも言える体制が築きあげられています。

現在でいう刑法を定めた「律」と行政組織や官吏について定められた「令」が明確にされ、律令国家が確立された奈良時代は、国と地方のそれぞれに行政組織の役職と組織が形成されています。

奈良時代以降にも影響を与えた「行政組織」について紹介します。

奈良時代の中央行政組織に置かれた役職

奈良時代の中央行政組織には、神々の祭りを司る神祇官と行政全般を管轄する太政官の二官が置かれています。

行政の最高機関として位置づけられた太政官は、今の内閣のような位置付けで、適任者がいなければ置かれないともされています。

これら二官の他に、宮城などの警備にあたる五衛府と風俗の取り締まりや官吏の監察にあたる段上台も置かれています。

太政官の下には、詔書の作成などにあたる中務省、文官の人事などにあたる式部省、仏事や外交事務にあたる治部省、民生や租税などにあたる民部省、軍事や武漢の人事にあたる兵部省、裁判や刑罰にあたる刑部省、財政や貨幣などにあたる大蔵省、宮中の事務にあたる宮内省の八省の役職が設けられています。

奈良時代の地方に置かれた組織と役職

奈良時代に確立された律令国家体制では、天皇を最高権威者として、国の中央に神祇官と太政官の二官を置き、地方は機内・七道に行政区分され、国、郡、里が置かれます。

国、郡、里に、それぞれの長として国司、郡司、里長の役職が任じられています。

政治の中心地であった京を除いた地方の要地とされた大宰府には、国司の上に大宰府という組織が存在するイビツな関係が構築され、外交と軍事上の要所であったことから防人司の役職も置かれています。

つまり、大宰府は太政官の直轄の役職で、その下に国が存在する組織形態をとっています。

奈良時代に確立された中央と地方、二官八省の役職

奈良時代に確立された律令国家体制は、大宝律令に基づいて中央の国に神祇官と太政官の二官を置き、畿内と七道に行政区分された地方には、国と郡と里が置かれ、国司、郡司、里長の役職が任じられます。

地方の要所とされる場所には、太宰府のように太政官直轄の役職が置かれ、その下に国が存在する特殊な組織形態がとられています。

奈良時代に生まれた行政組織の役職は、法治国家が形成された現在でも継承された名称があり、そのつながりの深さが感じられます。

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