大宝律令の制定により、奈良時代にはいると天皇を中心とした律令制が確立され、天皇の下には二官八省の行政組織がつくられます。
また、地方行政のために、全国を朝廷が存在した周辺の畿内と東海道、東山道、山陽道、山陰道、北陸道、南海道、西海道の七道の地域に区分されます。
それぞれの地域には、現在の都道府県にあたる国が置かれ、中央から派遣された国司が任じられた国の戸籍の作成をはじめ、行政の全権に関する役割を果たしています。
郡司は、国司の下で郡を治める仕事をした地方官にあたります。
奈良時代の郡司の役割とは?
奈良時代の郡司は、地方行政単位である国に中央から派遣された国司の下で、郡を治める地方官で、式部省が任免を管轄しています。
郡司は中央から派遣された官僚ではなく、その地域の有力な豪族が登用され、世襲で受け継がれているため任期はありません。
国司が郡司を推薦する場合には、郡司候補者が式部省に出向いて試験を受け、その地方の情勢を判断して任命が決定されます。
国司の下で郡を収める郡司とはいえ、班田の収受や租税の徴収の権利、軽微な犯罪に関する裁判の執行など、多岐にわたる権限を持っていたため、国司と同様に絶大な権力を持っています。
奈良時代の郡司の立場と待遇は?
奈良時代の律令制下での郡司は、任地における伝統的な権威と豊富な財力を持つ豪族が任命されることが多く、地方の豪族として努める社会的な側面と国司の下に支える地方官という政治的な側面を持ち、立場は国司よりも下だったものの、徴税や軽微な犯罪に関する裁判や刑罰の執行といった地方行政の実務の権限をもっていました。
そのため、奈良時代の律令制での地方支配は、中央政府が郡司による地方社会の把握によって成立していたと考えられます。
また、郡司は、大領、少領、主政、主帳の四等官に分けられ、それぞれの身分に職田が支給されていて、大領が6町、少領が4町、主政と主張が2町と国司よりも優遇されていますが、禄や食封はありませんでした。
地方行政で絶大な権限をもつ国司と郡司による二重権力構造を解消するために、朝廷は郡を分割するなどの再編を進め、特定の豪族による郡司の独占で勢力が偏らないように配慮した統治の改善をはかっています。
奈良時代の地方行政で力を持っていた郡司
律令制が確立した奈良時代の地方行政には、中央から派遣された官僚である国司とその下におかれた地方官の郡司による実務が行われています。
任地の有力豪族が任命されることが多かった郡司は、その土地に特有の伝統的な権威と財力を背景にした政治的な権力と徴税や刑罰の執行などの地方行政の実務権限をもっていました。