食事以外の嗜好品として食べられるお菓子には、穀類の粉を使ったビスケットや饅頭、糖質を主体にしたキャンディやチョコレートなど、多種多様なものが存在します。
そんなお菓子は、奈良時代の日本に輸入された唐菓子にはじまったといわれますが、それ以前にも日本固有のお菓子が上古時代に始まっています。
特に、砂糖が日本に伝わって以降、お菓子の歴史は激変し、江戸時代にはシュガーロードと呼ばれる西日本から江戸へ砂糖を運ぶ街道も結ばれています。
ここでは、日本でのお菓子の歴史のルーツともいえる、奈良時代のお菓子事情についてご紹介します。
奈良時代のお菓子とは?
奈良時代のお菓子といえば、梨や桃、干し柿、みかん(柑子)、郁子(むべ)、栗、クルミ、かや、いちいの果実など、果物や木の実のことを指していました。
また、こうした果物や木の実を簡単な穀物と合わせた加工品も含めて、お菓子と呼ばれていました。
そんな奈良時代、大陸との交流により持ち込まれた唐菓子が、日本のお菓子文化の始まりとなっています。
とはいえ、今のお菓子では当たり前に使われる砂糖もこの時期に大陸から輸入されますが、その量は少なく貴重だったため、お菓子の材料ではなく、当初は喉の薬として利用されています。
奈良時代にもたらされた砂糖は?
奈良時代に初めて日本にもたらされた砂糖は、前述のように希少品で、当時はごく少量しか入手できず、食用ではなく喉の薬として珍重され、今とはまるで状況が異なります。
砂糖がお菓子の原料として利用されはじめたのは、16世紀の後半、ポルトガルとの貿易が盛んになり大量の砂糖が輸入されてからです。
カステラ、丸ぼうろ、金平糖などの南蛮のお菓子が、その製法と共に長崎に伝えられて、独自の発展を遂げています。
しかも、砂糖の輸入をおこなった大陸との貿易は、他の輸入品の中でも大きな割合を占める大量な取引が行われています。
砂糖の普及は、西日本から江戸への街道の発達だけでなく、日本の食文化にも一大変革をもたらしています。
奈良時代にもたらされた日本のお菓子
上古時代に始まった日本のお菓子は、奈良時代に伝わった唐菓子によって独自の加工が加えられます。
奈良時代に伝わった砂糖は、当初、輸入された量が少なく貴重だったために、お菓子ではなく喉の薬として珍重されています。
果物や木の実を食事以外に嗜好品のお菓子としていた日本人が、砂糖の甘味があるお菓子へと本格的に変化するのは、ポルトガルとの貿易が盛んになる16世紀の後半です。
現代の多種多様なお菓子で溢れる状況は、奈良時代に伝わった砂糖が原点となっています。
