奈良時代に人口増加した理由は?

現在の日本はこれまで続いた人口増加で約一億三千万人まで増え、少子高齢化の進行に伴う人口の減少が始まっています。

人口増加や人口減少には、気候の変動、文明の発展、エネルギーシステムの転換、そして生存している人間の精神的な状況など、さまざまな要因が複雑に絡み、停滞や現象を挟みながら、人口変動が推移しています。

歴史人口学の専門家の方々により解析された日本の人口変動は、長期的な増加を重ね、近代以降は急成長を遂げたとされます。

日本が古代国家から律令制の国家に変化した奈良時代から平安時代に、急激な人口増加が推定されている背景や理由などを紹介します。

日本の人口増加基調にあった四つの波とは?

古代から現代に至るまでの日本の人口変動は、専門家の研究によれば、縄文時代と弥生時代から平安時代の前期、平安時代の中期から戦国時代、江戸時代初期から明治維新前、明治時代から現代に至るまでの四つの波があると分析されています。

日本の人口は、基本的に人口増加基調が継続していますが、縄文時代の寒冷期には26万人から7万6千人まで減少、平安中期から鎌倉時代にも戦乱や飢饉により700万人から600万人に減少といった変動も推定されているため、人口増加の波という表現が使われているようです。

これらの四つの人口変動の波の中でも、最も急激な人口増加がみられるのは、明治時代末期の五千万人から現代の一億三千万人という変化ですが、弥生時代から平安時代末期にかけての60万人から600万人へと10倍の人口増加が特徴的です。

弥生時代からの人口増加に関係の深い奈良時代には、一時的に人口に変化を与える理由も散見されます。

急激な人口増加基調にあった奈良時代にあった変化の理由

弥生時代には稲作文化が渡来し、それまでの狩猟生活を中心とした不安定な食料供給が安定し、人々の栄養状況が改善されたため、縄文時代後半に7万6千人程度まで落ち込んだ人口は、約60万人まで回復し、奈良時代に入ると平城京を中心とした都市整備が進みます。

奈良時代の人口増加の理由には、弥生時代からの稲作農耕の技術が安定し、律令制の確立により口分田が農民に与えられ、安定した食生活が確保され、都市機能の充実による衛生環境の改善が図られたためと考えられます。

そのため、弥生時代から急激な人口増加が進みますが、その一方で、聖武天皇の時代に起きた大地震や天然痘などの疫病の大流行が、短期間で人口が急減する理由となりましたが、事態が収束に向かう中で、次第に被害が小さくなる傾向をみせています。

奈良時代の人口増加の理由には、安定した食料の供給がある?

狩猟生活を中心とした生活を行っていた縄文時代から、稲作文化となった弥生時代、古墳時代を経て、律令制が確立された奈良時代には、急激な人口増加と人口の急減の理由が存在しています。

弥生時代からの稲作農耕の技術が安定し、律令制が確立した奈良時代には、天皇の土地を農民に口分田として与えられ、食料供給が安定し、衛生環境も改善が図られたために、人口増加が急激に進みます。

その一方で、大地震や天候不順による作物の不作などで起きる飢饉、疫病の大流行の影響が理由となって人口が急減し、事態の収束とともに被害が小さくなり、平安時代の人口増加へとつながります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする