奈良時代に完成された律令国家と律令制とは?

現代の日本は、法律に基づいた法治国家体制が築かれ、天皇を象徴とした国民主権の国家ですが、平城京に都をおいた奈良時代は、今とは違う国家体制が確立されていました。

奈良時代に確立されていた律令国家と呼ばれる体制は、701年に制定された大宝律令によって天皇を最高権力者とした社会や組織の規範が定められています。

大宝律令の制定は、奈良時代前の外交が不安定だったことで、当時の中国(唐)を模範とした律令制を確立して、日本を天皇を中心とした強国にした歴史的背景があります。

奈良時代に確立された律令国家体制と律令制などについて紹介します。

奈良時代に律令国家が確立された背景には?

日本が天皇を中心とした律令国家を目指したのは、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした乙巳の変が始まりです。

中大兄皇子と中臣鎌足らは、蘇我氏が権力を握る日本の状況を一刻も早く唐のような体制の律令国家とすべく、乙巳の変を起こし、翌年に孝徳天皇により大化の改新が出されます。

これにより、日本の土地も人民も全てが天皇のものであるとする公地公民をはじめとした律令国家の方針が示されています。

乙巳の変から50年をかけて、奈良時代となって大宝律令が制定され、律令国家体制が整います。

奈良時代に制定された大宝律令で組織された地方と中央の政治

大化の改新から進められた中央による統一的な地方統治制度は、660年代になると本格化し、天皇への権力が集中され、律令国家と呼ばれる地方行政区画や日本初の戸籍である庚午年籍が作成されるなど、次第に律令制度の準備が整います。

奈良時代の律令制は、唐の律令制を模範にして作られ、天皇を最高権力者とした刑罰についての決まりである「律」と政治についての決まりである「令」に基づいています。

奈良時代に大宝律令が制定されたことで、二官八省が天皇の元に置かれ、地方は国と郡に分けられます。

二官八省には、天皇直轄の太政官と神祇官の二官、太政官の下に置かれた中務省、式部省、治部省、民部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の八省があります。

また、国と郡に分けられた地方には、中央の貴族が国司に、軍司には地方の豪族が任命され、九州には大宰府が置かれています。

奈良時代に制定された律令制により、天皇を中心とした政治組織と中央集権の国と地方の組織体制が確立されます。

奈良時代の律令制は、大化の改新から始まった?

奈良時代に制定された大宝律令によって確立した律令制は、天皇を中心とした地方を中央が統一的に統治するための制度や政治、税制などを進めた大化の改新から始まっています。

刑罰のきまりである「律」と政治のきまりである「令」で構成された律令に基づいて政治が行われた奈良時代は、律令国家と呼ばれ、当時の中国(唐)を模範に作られています。

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