奈良時代にあった娯楽とは?

平城京への遷都ともに始まった奈良時代には、律令制が確立され、都には役人や僧侶をはじめ、商人や手工業の職人たちも集められて賑やかな市が立っています。

和同開珎という日本初のお金がつくられ、役人の給料が和同開珎という銭が与えられ、田の売買には必ず銭を使用するように命令が出されて流通が広がる一方で、偽造通貨も流通するようになり、政府が処罰しています。

有力者の中には、貨幣を利用して蓄財するものも現れ、約20万人いたとされる奈良の都の人口の中でも、富裕層の貴族や有力者と貧乏を強いられる農民たちとの格差が広がっています。

贅沢な暮らしをする貴族たちは、毎年決まった日に決まった行事が行われるようになり、さまざまな娯楽も誕生しています。

奈良時代の朝廷や民間で行われていた行事には?

奈良時代に入る前に作られた戸籍と大宝律令により、身分制度も確立され、和同開珎というそれまでにはなかった貨幣経済のはしりといえる商取引も都で行われるようになり、稲作による米の収穫以外にも蓄財が可能となり、貴族や役人などの有力者は、娯楽を楽しむ余裕が生まれています。

奈良時代には、正月の元旦には役人たちが年賀のために宮中へ出向いたり、正月の半ばには歌を歌いながら足拍子を鳴らして歩く踏歌の節会が行われ、三月には曲水の宴、四月には仏生会、五月には菖蒲の節句、七月には相撲、七夕、お盆といった行事が、朝廷をはじめとして民間でも行われるようになります。

奈良時代に生まれた正月の年賀や曲水の宴、仏生会、節句などの年中行事は、現代でも形を変えながら引き継がれています。

奈良時代に行われていた娯楽には?

奈良時代に行われていた行事以外にも、貴族や富裕層を中心に行われていた娯楽には、現代のポロのような、馬に乗った競技者が二組に分かれて、馬上から杖を使ってマリをゴールに入れる遊戯や、囲碁やすごろくなどの室内遊戯も行われています。

馬に乗った二組の競技者がゴールにマリを入れる競技は、打毬と呼ばれ、皇族や貴族の子弟たちの間で流行し、あまりに夢中となりすぎて平城京の警備が手薄になることがあり、外出禁止の罰則が与えられています。

囲碁やすごろくは、現代でも行われているボードゲームで、弾碁は、すごろくの盤に似た盤上に黒白の石を撒き散らしておき、指で弾いて当てる、おはじきのようなゲームで、投壺は、左右に耳がついた壺を離れた場所に置き、矢を投げ込んで入った矢の数を競う遊びです。

室内で楽しまれたすごろくは、次第に物や家財をかけた博打へとエスカレートしたため、娯楽ではなく博打として禁止令が出されるほど流行しています。

正倉院には、すごろくの盤や碁盤などが残されており、天皇や皇族もまた娯楽に興じたことが伺えます。

奈良時代に行われていた娯楽は、現代に通じるものも?

奈良時代に平城京が置かれた都では都市機能が充実され、身分制度の確率もあり、貴族や朝廷をはじめとして、年中行事が行われるようになり、貴族や一部の富裕層を中心として、さまざまな娯楽が楽しまれています。

屋外の娯楽には、現代のポロのような打毬と呼ばれる馬上から鞠を杖でゴールに入れる遊びや、室内では囲碁やすごろくといった現代と似たようなボードゲームが楽しまれています。

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