日本の古代建築様式は、遺跡が発掘された歴史公園などに再現された縄文時代の竪穴式住居や弥生時代の高床式住居などの住居建築、あるいは神社などで見ることができます。
奈良や京都に数多くある寺院や寺社には、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に造られたものが多く残されています。
初めて仏教が伝えられ、多くの渡来人の技術者により、中国の六朝様式の技術が伝わった飛鳥時代の建築様式は、飛鳥寺や四天王寺、法隆寺などの寺院にみられます。
奈良時代になると遣唐使が積極的に派遣され、聖武天皇による国分寺や国分尼寺を中心とした寺院など、唐の影響を受けた建築物が造られています。
奈良時代の寺院建築に影響した飛鳥時代の寺院建築と唐
奈良時代の寺院の建築様式には、飛鳥時代と同様に、多くの渡来人と積極的に派遣された遣唐使によって、唐の影響を受けています。
飛鳥時代に造られた法隆寺や飛鳥寺には、中央部分が膨らんだ大きな柱が存在感を示したエンタシスと呼ばれる銅張りや、雲形模様を用いた組み物が使われています。
日本の寺院を構成する山門、本堂、仏塔、講堂、回廊などの配置である伽藍においても、飛鳥時代には仏塔を中心とした飛鳥寺から、仏塔と本堂を同等に配置した形態へと変化しています。
奈良時代の寺院にみられる建築様式の特徴
奈良時代の寺院にみられる建築様式の特徴は、飛鳥時代に造られた寺院の建築を基盤にしながら、柱の使い方や組物、伽藍の配置などに多少の変化が加わっています。
初めて仏教が伝わった飛鳥時代から、律令制が確立された奈良時代には、鎮護国家を目指した歴代天皇により仏教が保護され、寺院は平坦な土地に大伽藍が造られています。
飛鳥時代に使われていた柱の中央部が膨らんだエンタシスは、唐招提寺にも使われていますが、雲斗と呼ばれる雲の形の飾りがあった組物は、三手先という組み方に変わります。
最も変化したのが伽藍の配置で、仏塔と本堂が同列で配置された飛鳥時代とは違い、奈良時代には、俗世間との結界となる山門が本堂の真南に配置され、仏塔の位置は山門と本堂の中間に配置されるようになります。
これらの特徴は、薬師寺、大安寺、東大寺、唐招提寺といった寺院にみられます。
唐の影響を受けた奈良時代の寺院
奈良時代の寺院といえば、盧遮那仏を本尊とする東大寺をはじめ、唐招提寺や薬師寺など、数多くあり、それらの建築様式には、飛鳥時代に伝えられた多くの渡来人の技術や造られた寺院などが継承されながら、変化しています。
いずれの時代に造られた寺院にも、中国の影響があり、柱の使い方や組物、伽藍の配置にそれぞれの特徴がみられます。