奈良時代の万葉集から推測される恋愛事情

現代の日本では、少子高齢化による超高齢化社会が進行し、生涯未婚率も上昇傾向が続いているため、各地で街コンやスマホのマッチングアプリなどで、カップルの誕生を補助する動きも活発化しています。

古代の日本の結婚形態は現在とは少し違い、奈良時代には「妻問婚」と呼ばれる男性が女性の家に通うという状態が風習となっていました。

結婚相手の探し方も現代とは違う風習があったことが、奈良時代に編纂された「万葉集」からも知ることができます。

奈良時代の若い男女の恋愛事情を紹介します。

奈良時代の若い男女の結婚相手の探し方

奈良時代の若い男女の結婚相手の探し方は、男女が集まり、即興でつくった歌を掛け合いながら求愛する「歌垣」と呼ばれる風習が利用されています。

「歌垣」には、結婚相手を探す若い男女だけではなく、歌を指南する世話役のような人も介在し、歌のリズムや言葉の使い方など、求婚者の手助けをしたと考えられます。

現代でいえば、お見合い相手を紹介する仲人さんや世話焼きオバさんといった人達が、若い男女の恋愛を手助けしていたようです。

歌垣で読まれた歌には、オリジナリティーを重視するよりも、枕詞や序詞がセットとなった誰しもが知る歌を利用することが教養人と思われたため、知識を持った人の助言を必要としたと思われます。

奈良時代の若い男女の恋愛が垣間見える万葉集

天皇から一般庶民、防人に至るまで、さまざまな身分や階級の人々が詠んだ歌を、奈良時代後半に編纂した「万葉集」には、人への想いを歌った歌が大半を占め、男女の恋愛に関する歌も多く収録されています。

穂積皇子が詠んだ「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の猪養の岡の 寒からまくに」、「家にありし 櫃に錠さし 蔵めてし 恋の奴の つかみかかりて」といった歌には、但馬皇女と穂積皇子の恋愛で相手に抱く思いが歌われています。

駿河采女が詠んだ「敷栲の 枕ゆ漏る 涙にぞ 浮寝をしける 恋の繁きに」という歌には、地方から連れてこられた朝廷の女官が、天皇の目に止まることなく生涯を終える切ない恋愛の歌となっています。

狭野茅上娘子が詠んだ「あしひきの 山道超えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし 君が行く 道の長手を 繰りたたね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも」という歌には、露見してはいけない恋愛をしている女官の状態が詠まれた歌で、このような道ならぬ恋愛の歌も多く集められています。

奈良時代の若い男女の恋愛には、歌が必須だった?

奈良時代の若い男女の恋愛には、「歌垣」と呼ばれる男女の集まりで、気に入った相手に歌を詠んで、掛け合うという現代では考えられないコミュニケーションが取られています。

そのため、誰もが知っている枕詞や序詞の組み合わせを知っていることが教養とされ、それを介助する人も参加していたと考えられます。

「歌垣」で詠まれた歌や朝廷で詠まれた恋愛の歌は、万葉集に数多く収録されています。

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