奈良時代の寺は、どんな役割をもっていたのか?

現在の日本では、お寺といえば、葬式や法事などの仏事を行う場所、あるいは先祖のお墓がある場所といった印象が強いと思います。

お寺の本来の役割には、仏像を安置する場所という役割があり、ほとんどの寺院には御本尊とされる仏像が安置されています。

そもそも、日本の信仰は、古代では森羅万象すべてのものに神が宿ると考えた自然崇拝に生まれた神への信仰が、次第に神社という神が宿る場所を作り出し、日本の神道が形成されます。

その後、飛鳥時代にはじめて日本に伝わった仏教が奈良時代に入り、聖武天皇が諸国に作らせた国分寺や国分尼寺などにみられる寺の役割などを紹介します。

寺院が持つ本来の役割とは?

ブッダが生きていた時代の仏教には仏像はなく、インド仏教では「僧が住む場所」が寺院であり、「僧が修行する場所」と考えられていました。

そのため、インドにおける仏教寺院の最初の頃には、仏像が安置される場所としての役割はありませんでした。

一方、中国の唐から日本にはじめて仏教が伝わった飛鳥時代には、それまでの日本に広がっていた神道の神社と同様に、仏像を置く場所としてお寺が作られています。

大宝律令の一つとして出された「僧尼令」により、奈良時代に僧侶になるには天皇の許可が必要となり、寺は僧侶の仕事場の役割を持ちます。

奈良時代の寺の役割

聖武天皇が政治を行った奈良時代には、天然痘の大流行や大地震などの天災、藤原広嗣によるクーデターなど、多くの問題が頻発します。

そのため、仏教信仰を深めていた聖武天皇は、仏様への信仰を行うことで国を護ろうとする鎮護国家の思想に基づき「国分寺建立の詔」を発し、各国に国分寺と国分尼寺が立てられます。

これにより、奈良の東大寺が総国分寺となり、国内の僧侶の監督にあたり、朝廷の特別の保護も受けて、鎮護国家の役割を担っています。

総国分寺の東大寺には、聖武天皇が出した「大仏建立の詔」によって、現在も奈良の大仏として鎮座する東大寺の御本尊となる盧舎那仏が作られています。

聖武天皇の鎮護国家の役割を果たした国分寺や国分尼寺

飛鳥時代に伝わった仏教は、古代の日本に根付いていた神道の考えと同様に、仏像が安置される場所としての役割をもつ寺院が作られています。

奈良時代にはいり、聖武天皇が政治を担うようになると、さまざまに起きた問題から、鎮護国家の役割を果たす国分寺と国分尼寺が作られています。

奈良時代の寺の役割は、仏像が安置される場所から、次第に天皇が認めた僧侶の鎮護国家のための仕事をするための場所になります。

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