奈良時代の国司や郡司の違いは?役割は?

奈良時代に入る少し前に制定された大宝律令で、天皇を中心とした二官八省の行政組織が構築され、中央が地方を統治するための地方行政のシステムも新たに作られています。

地方行政のシステムを構築するために、日本の行政区画を平城京が置かれた都と、五畿七道とに分けられます。

平城京が置かれたあたりに「都」とその周辺の五つの国を「畿内」とし、西から「西海道」「山陽道」「南海道」「山陰道」「東海道」「北陸道」「東山道」の七道です。

ちょうど現代の関東や関西、九州、四国といった区分に似ていて、五畿七道の中に「国」、その下に「郡」が置かれ、それぞれに「国司」と「郡司」が派遣、任命されています。

奈良時代の律令制の下で置かれた「国司」とは?

奈良時代の律令制の下で、天皇を中心とした中央集権国家の行政組織の仕組みとして、中央から地方へと派遣された貴族が「国司」として赴任し、任じられた国の行政、財政、司法、軍事などの全般を執り行っています。

「国司」の仕事内容には、戸籍の作成をはじめ、口分田の収授、税の徴収、兵士の招集、裁判などがあります。

中央の官僚が任命されて地方に派遣される「国司」は、国のほとんどの権限を手中に収める絶大な権力を持ち、6年の任期が定められていました。

「国司」の下に、実務を行う「郡司」が置かれています。

奈良時代の律令制の下で置かれた「郡司」とは?

奈良時代に、五畿七道に分けられた地域に置かれたそれぞれの国に中央の官僚が「国司」として派遣され、その下に配置された郡の行政全般の実務を執り行う役人として「郡司」が置かれています。

「郡司」には、その郡の有力な豪族が任命され、任じられた郡の行政、税の取り立て、軽度の刑罰に関する執行などを執り行っています。

「郡司」は、国司と違い中央から派遣された官僚ではないため、その地域の有力な豪族が世襲して登用されたため、任期の規定はありませんでした。

国司に支える立場の「郡司」ですが、税の徴収にあたる権利を持っていたため、国司ほどではないにしても絶大な権力を持っていました。

大宝律令以後の奈良時代に組織された地方行政

大宝律令の制定によって、奈良時代に確立された中央が地方を統治するための「国司」と「郡司」は、それぞれの地域に置かれた地方の国と郡の行政全般を執り行っています。

「国司」は、中央の官僚が任命されて、任じられた国の行政全般を取り仕切る絶対的な権力を有し、6年の任期を全うします。

国の下に置かれた郡には、地方の有力豪族が「郡司」として任じられ、「国司」のもとで行政全般の実務を行ない、その地位は世襲されています。

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